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籠島忠作商店誕生

一人の青年の夢、花開く

1894年(明治27年)5月24日。「技術を習得して商いをしたい」という夢を抱き、新潟から上京した 一人の青年、籠島忠作の夢が、群馬県高崎でカタチになります。
出身地・新潟で珍重された焼麩とでんぷんを製造・販売する「籠島忠作商店」。「株式会社新進」の 前身です。5月24日を創業記念日とするゆえんはここにあります。


初代籠島忠作、47歳の頃
(撮影:大正6年)


初代籠島忠作の生家(撮影:平成6年)


大正末期の神明町。広瀬川にかかる柳橋
(『大正末から昭和の初め』
発行者・平田一夫より転載)

素早い決断力と行動力で成長

忠作・ミツ夫妻の真面目な働きぶりに応えるように、商いは順調に発展。群馬県前橋に拠点を移し、さらなる成長を目指しました。しかし、店の上向きの経営と裏腹に相当な借金を抱えた現実がありました。
長男の常太郎は18歳という若さにもかかわらず、思い切った経営の改善に着手します。昔かたぎの商いを変えた素早い決断力と実行力が、籠島忠作商店を時流に乗せていくのです。


籠島常太郎(二代目忠作)、
28歳当時(撮影:大正11年)


マル半印 餅の取り粉のラベル


マル吉印(マル半印より品質が高い)
餅の取り粉のラベル

新たな主力商品開発

1923年(大正12年)9月1日正午頃、関東地方一帯を大地震が襲いました。死傷者20万人、焼失家屋40万、全半壊家屋20万という被害状況。被災後は大変な物質不足に悩まされました。幸い、籠島忠作商店には、大量の原料のストックがあったため、得意先にも相当便宜をはかることができただけでなく、毎日300貫の焼麩を救援物資として送ることができました。
籠島家でも、公私ともに新たな時代を予感する出来事が起こりました。萬亀(三代目社長)の誕生と、主力商品だった焼麩に変わる「敷島麩」の開発です。


震災後、地方から届いた救援物質の処理に
追われる係員(帝国ホテル付近)
(『実写・実録 関東大震災』講談社発行より転載)


震災後、救援物質にした
車麩のラベル


敷島麩の小袋
(家庭用サイズ・紙製)


敷島麩のラベル


敷島麩の製造工程について書かれたチラシ

個人商店から株式会社へ

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