新進の歴史、それは
チャレンジの歴史でもありました。

第3章〜1988年(昭和63年)現在に続く土台作り
3代目社長 籠島萬亀の就任

1966年(昭和41年)、籠島萬亀は3代目社長に就任し、新進は新たな船出をしました。
スタンゲ社との合弁など、グローバルで新しい視野を持ったトップの誕生です。

ボウリング場の経営

地道な食品を扱ってきた当社は、某企業の工場が閉鎖されるにあたり、その工場と従業員を引き受け、1972年1月に新たな事業としてボウリング場「保谷ミラクルレーン」を開業しました。
おりしも世の中のボウリングブームもあり、開業当初は大変な賑わいを見せましたが、オイルショックなどの逆風も重なって約2年間で事業から撤退いたしました。
事業はうまくいきませんでしたが、当社が新たなことにチャレンジする精神は、このころから醸成されてきたといえるでしょう。

保谷ミラクルレーン開業当時の外観:左

開業記念式典のテープカットを行う籠島忠作会長:右
(撮影1972年) 

ブランド名の定着にマスメディアを活用

1973年(昭和48年)に起こった石油ショックは、日本の経済を大混乱に陥れ、不況から立ち直った後遺症は低経済成長でした。経済の激しい変動と呼応するように社会情勢も大きく様変わりし、消費者ニーズも多様化しました。
新進では数100種類の漬物を販売。お客様のご要望に対応していましたが、「商品名を売るか」「新進というブランドを売るか」が課題になっていました。
他社との競合を意識して商品名を売りたい営業サイドに対し、ブランド名を売りたいという宣伝サイド。議論は深く熱く続きましたが、結論を下したのは籠島萬亀社長(当時)でした。消費者モニターによる投票結果を踏まえ、六角マークを採用し、タレント・藤村有弘氏を起用したテレビコマーシャルを含むマスメディア戦略で、六角マークのしんしんというブランド名が定着していったのです。

総社工場研究室にて。製品の分析(撮影:1988年)

企画開発部の発足と多様化した商品展開

1983年(昭和58年)、それまでばらばらにあった研究所、企画、検査部門などをひとつに統括した「企画開発部」が設置されました。企画開発部長として、後の代表取締役籠島正直が就任。次の時代を見据えた数々の新製品開発が推進されたのです。
食品製造メーカーにとって、添加物の問題は避けては通れない永遠のテーマです。しかし、法律基準の範囲内であることよりも、「添加物を排除したい」と考えるお客様の要請に共鳴することが何より大切だと考え、「無添加シリーズ」は生まれました。
味や歯切れはもちろん、色というのも漬物のおいしさには欠かせないポイント。着色料を使わずに、食べてみたくなる「色」を出すのは至難の技でした。無添加シリーズの人気を皮切りに、塩分と糖分を表記した『マイヘルスシリーズ』や現在にも続く減塩シリーズが誕生します。
また、新進が独自に開発した凍結磨砕法でつくる『ミクロペースト』の製造を発明したのもこの頃です。色や糖度の安定した野菜を仕入れることから始まるこの製品は、1984年(昭和59年)に特許を取得。本格的に製造販売に乗り出すと、着実に売上げを伸ばしました。第8回発明大賞、科学技術庁長官賞、農林水産大臣賞(1985年)なども受賞しています。

前橋市内の自然食品店に並んだ新進科研製造の
『ダイズノン醤油』と『ダイズノンソース』(撮影:1994年)

『ミクロペースト』パンフレット

伝統的な主力製品の売上げを伸ばすため、1988年(昭和63年)、ビートたけし氏率いるカレーショップ北野印度会社と業務提携。
北野印度福神漬、北野印度カレー福神漬、北野印度らっきょう漬、北野印度しそのみ漬を商品化しました。また、ビートたけし氏を起用したコマーシャルは大評判を呼び、その年の売上げは総計20億円という伸びをみせました。 広告は一時的な売上げの伸張にとどまらず、シェア拡大にも貢献。販路開拓の大きな布石となったのです。

SPS推進部の設置

NPS研究会入会は、1981年(昭和56年)のことです。当時は製造と出荷の誤差があり、一日作業で作った製品を保存するため、総社工場には大きな自動倉庫がありました。しかし、NPS研究会の推進する「一個作り」作業をすれば、倉庫は不要。在庫圧縮による経済効果や商品の鮮度の問題などをクリアすることができました。
NPS研究会の、必要なときに必要なものを作る「ジャスト・イン・タイム方式」や、発注から納品までのリードタイムを最短にする考えを、SPS(新進プロダクションシステム)推進室が中心となり、導入。現在では販売や在庫管理、営業管理などにも反映し、省力化、合理化を進めています。

第67回Aグループ NPS大巡研(当社会議室にて)

総社工場の自動倉庫。
SPS推進室の進める省力化のため撤去(撮影:1980年)

経営企画室の設置

6年後に創業100周年を迎える伝統の重みに対し、経営に新風を望む声が高まっていたころ、「漬物」を扱うメーカーという古いイメージからの脱却が企業としての成長につながると「経営企画室」を設置。実業とは離れた組織改変や、中・長期の経営方針を模索するセクションとなりました。
大きな目標は、将来の株式公開を含め、より開かれた会社にすること。現在に通じる土台作りをしながら、革新に向かって歩を進めたのです。

協力工場との連携と原料調達

日本人の伝統食である漬物。梅の産地である、和歌山には梅干し作りの技術が、干し大根の大産地である九州には沢庵漬などの高いノウハウがあります。商品作りに活かせば、市場への訴求力の強化にもつながると、営業のみならず製造拠点の全国展開も進め、現在では全国30カ所を超える協力工場で、新進ブランドの漬物を製造しています。
そのほか、大根の一大生産地である鹿児島県の経済連と設立した「九州新進株式会社」や酒の(オリ)下げ剤『オリトール』および大豆アレルギー食餌療法醤油『ダイズノン』の開発・製造を主体にした「新進科研株式会社(当時)」、アメリカのADM社(農産物加工会社)が製造している、とうもろこしから抽出した乳酸の日本総代理店や中国の医薬品メーカーの代理店など、いずれも高い利益を生み出しています。
原料調達もおいしい漬物のために欠かせないこと。日本の嗜好や流通機構に適した海外市場調査に数年の年月を費やし、中国を皮切りに東南アジアなどの原料ルートの開拓を進めていきました。

全国に分布する支店営業所と協力工場

中国でのザーサイ乾燥作業

中国・浙江省の工場にて
きゅうりの選別作業